自分に出来る仕事とは

「自分のことは自分が一番わかっている」

 

これ、多分嘘だと思うんですよね。私たちって実は、他人より自分にたいして取り繕うことの方が多いんだなあと、最近になって気付きました。その取り繕う行為によって、自分のことを自分が一番見えない状況になってしまいます。

 

自分に嘘はつきたくない、でも格好悪い自分になるのは嫌だ、もっと欲を言えば周りから称賛されたい。こんな思いが重なって、本当はあまり好きではないこと、得意ではないことを続けている人も中にはいると思います。今の私はまさにこの状態です。

 

好きだけど苦手な状況とは

 

私はいま、料理人として、とあるレストランで働いています。もともと作ることも食べることも好きでした。だから将来は自ずと道が見えていたし、自分が好きで選んだことだからと、その選択を疑うことは一度もありませんでした。でもよく思い返してみたら私をその道に進ませた一番のきっかけって、実は違ったんです。

 

そのきっかけは、父親が放った「俺は人生やり直せるなら、料理人になりたいんだよ」という言葉でした。本当にこの些細な一言で、私は変な使命感に駆られたのです。私が料理人になったら、きっと私を誉めてくれるに違いない、と。また、学校によく手作りのお菓子を持って行き、友達にあげてました。そうすると友達が、「美味しいね!料理人になれるよ!」と言ってくれます。今なら世辞だとわかりますが、当時の私はこれを鵜呑みにしていました。将来が決まったな、と。

 

いざこの業界で働いてみると、私は理想と現実のギャップに困惑します。私は料理人として働き続けることで料理人であることに自信が持てるのではと思っていました。しかし、7年目に差し掛かっても、自分に自信が持てません。

 

なぜなんだろう、と考えていたとき、私はあることに気付きました。私は料理を作ることは好きだけど、職場の人たちに評価されたり技術や発想の乏しさを批難されることで、仕事における料理というものが嫌になっていたんだと。いろいろ勉強しても、きっとまた何か言われると思ったら、積極的にあれこれ試すようなことと出来なくなってしまいました。否定されることなんてどんなことでも付き物なのに、特に料理に関しては、それが怖くてたまらないのです。

 

あれ、全然楽しくないや、でも好きで始めたんだから続けなきゃ。周りもがっかりするだろうし、高い学費を払ってもらって専門学校まで通ったんだから。そんな思いがぐるぐる頭を駆け巡り、辞めてはいけないと暗示をかけ続けてきました。

 

でも本音はどうでしょう。12時間拘束で手取20万にも届かず、体力と精神を磨り減らしながら、今の仕事にしがみつく理由が見当たらないのです。仕事を思い出してしまうから、家で料理をすることも減りました。友達を呼んで料理を振る舞うこともしなくなりました。

 

結局、私がうまくいかなかった理由は、始めるきっかけも続ける理由も、他人に委ねてしまっていたことだと思います。周りの意見を聞いて、私は料理を仕事にするんだと暗示をかけ、本当は熱意や発想力とかもあまりないからどこかで躓くのは目に見えていたのに、そんな自分の本音に蓋をしました。誰かの期待に応えるという大義名分は、いつか必ず自分を苦しめるのです。

 

やりたいことは出来ることではない

 

当たり前だけど、やりたいことというのはあくまで理想の状態です。それとは別に、出来ることというのは、自分で実現可能な範囲のことを指します。

 

よく巷では、「自分のやりたいことを仕事にしましょう」なんて耳障りな謳い文句が当たり前のように言われています。もちろん学生のうちは、まだ自分の出来ることなんてわからないから、やりたいことをきっかけに仕事を選んでもいいと思います。でも少し社会人を経験すると、自分というものが見えてきます。本当に出来ること、絶対やりたくないこと、これだけは譲れないもの、なんていうのもわかってきます。

 

働くことは、自らがお金が必要である限り、勝手にお金が入ってこない限り、生きていくために切っても切れないものです。だからこそ、少しでも負担やストレスを軽減させるために、自分に正直になって仕事を選んでみるのもひとつの手だと思います。

 

ちなみに私は、多分次の転職で料理人という肩書きを捨てることになると思います。料理の世界しか知らない私にとって、外の世界はあまりに広くて仕事の種類も溢れています。今日から少しずつ情報を集めながら、悔いのない転職に挑めたらと思います。