私の話を聞いてくれ。

たまにはブログでもやってみる。

すっげーやな奴の書いた文章です

本当はこういうことを、ネット上に書くのはよくないって頭ではわかっている。わざわざ人目に触れる場所にお披露目するのは愚か者のすることだ。

 

でも、まじで、職場にヤバいやつがいる。

 

きょうは、その人の話をする。わざわざ文字に起こすなんてばかばかしいけど、どこかに吐き出さないともうおかしくなりそうなくらい苛立っている。読んだら気分が悪くなりそうなことしか書いていないから、読むなら自己責任で。

 

 

 

 

 

その人が異動してきたのは去年の秋。

職場の二番手の社員と入れ代わりでうちに来た。

 

38歳女性。この会社でアルバイトとして1年はたらいたあと、私と同じ時期に正社員になった(私はアルバイトはしていないので、はたらいた期間は彼女の方が長い)。いわゆる同期にあたる。

 

これがまーーーー仕事ができない。

 

なんで二番手の代わりにこの人を寄越したのか、人事をうらんだ。彼女の人柄は穏やかだが、責任感というか、当事者意識がない。販売の仕事なのだが、店の中をただうろうろしている。パソコン仕事をやらせれば死ぬほど時間がかかる上、誤字脱字のオンパレード。お客様に商品を配送する手続きでは、なぜか住所や連絡先を一切聞かずに帰した。金銭授受のミスは日常茶飯事。

 

あまりに任せられる仕事がないので、とりあえず品出しなど頭をあまり使わなくていい仕事をさせていた。そうすると、今度は商品を破損させる。併設する飲食スペースでホールをやらせれば、オーダーを聞き間違える。提供するテーブルを間違える。洗い上げたグラスを拭かせてみたが、遅い、割る、邪魔。

 

ここまではまあ、典型的な仕事出来ない人間だと思う。でもまだまだ伝説は続く。

 

 

正社員になって1年足らずで、彼女は辞めることになった。4月の半ばまで働いて、そのあとは旦那さんの転勤先に引っ越すのだそう。

彼女と働くリミットが明確になったので、それまで我慢すればいいやと考えていた。だけど退職が決まったあとから、彼女は次々事件を巻き起こす。

 

 

晦日、次の日に来たる正月商戦のために社員総出で準備をする。はずだった。彼女は大晦日の朝、足を引きずって現れた。家の、近所で、凍ってもいない地面で、階段もない平坦な道で、ただ転んで、足を痛めたという。後にヒビが入っていただか入りそうだったか、そんなことを言っていた。

晦日は、残りの社員で死ぬ気で準備を終わらせた。

 

それから、彼女に力仕事はさせられなくなった。足にヒビが入っているから。みんなは自分の仕事をかかえながら、品出しや売り場作りを一生懸命やった。それを年明け2ヶ月くらい守っていた。

でも私は見た、1か月後には彼女が帰り電車に駆け込む姿を。発車ベルが鳴るや否や、階段をちょこまかと駆け降りていた姿を。

 

 

その後、彼女の旦那の近親者が亡くなったときには、全員で彼女の不在の間どうにか回した。さすがに葬儀に行かせないわけにはいかないからだ。頭数がないとどうしてもしんどいため、5日間シフトが崩れただけでもそうとう疲れた。

 

 

そんな彼女は、繁忙期に公休希望を平気で出す。旦那の実家の定例行事に参加するとかわけのわからない理由で、毎週末休もうとした。もちろんそれはゆるされなかった。今まで散々振り回しておいて、よく希望を言えるなと思った。怖かった。

 

 

年が明けたくらいから、彼女は仕事中にお手洗いに行くことが増えた。普通の人なら5分で戻ってくるが、彼女は15分くらい戻らないこともざらにあった。売り場に2人しかいないときでも平気で出ていく。そして戻らない。そういうときに限って、客が押し寄せる。

 

最初は、足を引きずっているからだろうなと思っていた。でも今月になって、さらにその回数は増えた。足は治っているはずなのに、なんで?

 

 

その理由は、妊娠だったらしい。

 

つわり?なのかよくわからないけど、それで度々お手洗いに行っていたのだそうだ。

 

妊娠するのはべつに悪いことじゃない。でも、彼女は現在、妊娠2ヶ月だと言った。

 

2ヶ月前?足にヒビが入って通院していた頃だよね。仕事も他のスタッフがカバーしながら日々どうにか回していた頃だよね。

 

 

もう、本当にここからは、最低な人間だと罵られてもいい覚悟で言う。

マタハラとか何かいろんなハラスメント定義に一瞬で引っ掛かることを言う。

 

 

足にヒビが入っていても、子作りはできるんだね?

 

退職まであと3ヶ月ちょっとだって思ったら気が抜けたのかな?

旦那さんの給料だけでも全然困らない生活って言ってたっけ?なら退職して引っ越しが終わってからゆっくり落ち着いて子作りしてくれてもよかったんじゃないかなあ?

 

彼女のミスを彼女に清算させたくても、その先に待つお客様にこれ以上迷惑をかけまいとみんなで頑張ったよ。彼女の怪我も、急な訃報も、ふざけるなと言いたいのを堪えてみんなで代わりにはたらいたよ。

 

散々振り回しておいて、自分は呑気に妊娠って。

 

立っているのも辛いからと、彼女はその日から4時間勤務のシフトになった。それを全員でカバーしている。

 

ごめんほんと当事者になったことないからわからないけど、40近くで妊娠すると2ヶ月でもそんな仕事出来ないくらい弱ってしまうの?

 

せめて、仕事をしようとする姿勢を見せてくれたらこちらも助けなきゃと思うけど。妊娠カムアウトの翌日からは本当に妊婦様という言葉がよく似合うような、消化試合のような仕事ぶりになった。

 

 

 

妊娠した女性は職場では守られる世の中になってきた。それを守れない人は厳しく罰せられるからだ。

 

でも、その傍らで妊娠していない人たちがボロボロになりながら働くことになる現状を、どうか知っていてほしい。

 

今まで彼女が職場の社員の一員として、しっかり仕事をしてくれていたり誠意ある行動を積み重ねていれば、きっと今回のようなことになっても私たちは快く手をさしのべたはずだ。断言できる。

 

彼女のように、迷惑行為を重ねに重ねたあげくのこの結果は、まさにしてやられたとしか言いようがない。

 

 

私たちが何を言っても、世間にとっては私たちの方が明らかに悪なのだ。

 

私たちの本音はこれだ。タイミングも考えずに妊娠しやがって。妊娠カムアウトした瞬間に急に何もしなくなりやがって。時短勤務のカバーをしているのに少しは申し訳なさそうにしろよ。ていうか、足にヒビが入っているのに子作りってどういうことだよ。20代の新婚ラブラブなおあつい時期ならともかく、40間近でうっかり出来てしまったのなら本当にありえない。避妊も出来ないのかよ、もう辞めるしいいやって思ったのかよ、こっちはあなたに振り回されてへとへとで相手に触ることすら気力がないのに、あなたはそうやってやることやって、なんなの、なんなの。

 

この思いは、本当にこのご時世では厳しく批判される的になる。だからみんな、口に出したくても出せない。口では、もう仕方ないからと言う。でも、増える残業、終わらない仕事、中途半端な時間に来て中途半端な時間に悪びれず帰っていく彼女を目の当たりにすると、私たちだってボロボロなのにってやるせない気持ちになる。

 

もっと許せないのが、時短勤務になっても会社の仕組み上、給料は満額出ていると言うこと。

もともと、あの仕事ぶりで私と給料が同じなことも許せなかったけど、これを知ったときは必死に働いてる自分が本当にばかみたいだと悲しくなった。結局、自分本意で動いた人が得をする。ふつうの人間は、少しは会社の都合や周りの目を気にするからそんなに大それた行動には出ない。でも彼女は違う。

 

 

私は、義務を果たさず権利ばかり主張するような人間が死ぬほど嫌いだ。

 

彼女はまさにそれに当てはまる。

 

 

 

 

 

 

 

 

全部読んでくれちゃったね、私が妊娠した人に対してこんなことを思うような人間なんだって幻滅しただろうね。

 

自分でもまさか私がこんなことを思うようなひどいやつだったなんて知りたくなかったよ。だから毎日、つらい。

 

きょうも12時間以上通しではたらいた。それでも4時間しか働いてない彼女と残業代の差しかないの。私は、それが許せないような心が狭い人間です。

 

そして、妊娠したときの周りとの信頼関係って大事だなと思った。ただ制度が整っているだけでは、だめなんだ。その制度を使うことで必ず皺寄せがどこかにいく。そこにいる人たちとの信頼があってこそ、守られるんだと思う。

 

 

 

なんかいろいろ書いてたら疲れた。

 

仕事も疲れた。

 

 

でもあと4日顔合わせれば終わりなので、もう耐えるしかない。

ワインは興味ない、はずだったけど

最近、ワインをよく飲むようになった。

 

私はいま、とあるワインショップで働いている。社割が効くので職場で買うことも多い。他にはカルディで買ってみたり。

 

 

もともと、ワインはほとんど飲んだことがなかった。前の職場では仲間と一緒にビールかチューハイばかり飲んでいた。ワインは飲めなくはないが、なんとなく高貴な飲み物に見えてあまり自ら飲もうとしなかった。

 

私がワインショップで働き始めた理由はこうだ。以前働いていた飲食のキッチン業務がしんどくなり、でも食の席から遠ざかる仕事は自信がなかったため選んだ。それだけだ。

 

実際、いま働いているワインショップでは高級ワインを扱っている。安いものでも1000円を下回るものはなかった。上は6桁。ワインに馴染みのない私が飲んでも最初はその価値がわからなかった。

 

 

働きはじめて少しずつ、ワインの勉強を始めた。

 

地域ごとに気候が違う。ブドウの育ち方も違う。気候や土壌に合わせてブドウを育てる。そしてブドウに合わせた醸造を行う。そうして、さまざまなワインが生まれる。ちょっと考えれば当たり前なことだが、ワインはこのようにブドウファーストで造られる。

 

高貴な飲み物だと思っていたが、3桁で買えるものもたくさんある。もっとも、安定的に美味しく飲めるものを間違いなく買うなら、せめて1,000円台のイタリアワインをすすめる。ラベルにD.O.P.表記があるものなら、原産地呼称が守られているので品質もお墨付き。

 

ちなみに私はきょう、はじめて成城石井でワインを買った。モンテプルチアーノ・ダブルッツォという、イタリアのアブルツォ州のワインだ。モンテプルチアーノ種という、イタリア独自の品種を使ったワインを味わってみた。その味わいは軽やかながら、程よい酸味とタンニンが楽しめる。イタリアンといえばトマトを使った料理を思い浮かべるが、まさにそんな料理に合わせたくなるような赤ワインだった。

このように、比較的庶民でも買えるワインを"テーブルワイン"と呼ぶ。

 

 

他にも、職場では5万円相当のワインを飲む機会にも幾度となく恵まれた。その味わいは複雑で、果実味だけではなく杉や樽香などとてもブドウから放たれる香りとは言えないようなアロマが立ち上ったのを覚えている。

 

ワインに毎日触れるにつれて、ワインが少しずつ気になるようになっていた。お酒といえばビールかチューハイかハイボールだった私が、今では休みの日にワインを1本あけるようになっていた。ちなみに一緒に住む彼もワインは飲めるが、ここ2ヶ月くらい喉の調子が芳しくなく、私がほぼ1本飲み干している。

 

いいワインを飲むと、次の日にあまり響かないとはよく言ったもので。なんとなく頭がガンガンしそうなものが、ちょっと奮発したワインを夜長ゆっくり飲んだ次の日には、まるで前日ワインなんてのんだかなあと不思議に思うくらいに調子がいい。なので連休の時にはちょっと博打な、安価なワインを。短休の時には安定感のある職場ワインや4桁のワインを飲むようにしている。仕事のある日は職場でちょっとテイスティングするのみ。

 

休肝日は?と訊かれたら、なにもいえない。

 

 

そんなこんなで、ワインにふれあう時間が増えた。

ワインとは、美味しくて、ストーリーが隠れていて、他国に思いを馳せられて、ちょっと楽しい飲み物である。少なくとも、私のなかではそんな位置付けになった。

 

寒暖差が大きく比較的日中に晴れの日が多い年はいいブドウが育つ(これをグレートヴィンテージと呼ぶ)。その年のブドウで造られたワインは言わずもがな、いいものになる。反対にブドウが思うように育たなかった年は、生産者の器量が色濃く反映される。厳選したブドウで例年より手間隙掛けた醸造が行われる。特にフランスワインはブドウの収穫年ごとの差が大きい。

 

 

たかがワイン、されどワイン。

 

その違いを体感してしまった以上、もっと根底から理解したいなと思う。だって、気になるんだもん。

 

隣同士の村でも、同じ品種を使っていても、味が違う。それが気になる。そしてそれは、私だけじゃないはず。

 

それを伝えるのが今の仕事だ。うまいこと伝えて、私みたいにお酒好きな人が増えたらうれしい。お酒は一見悪いもののように思われがちだが、正しく飲めば視野を大きく広げてくれる。

 

例えば私は、ワインを知ったことでフランスやイタリアのブドウ畑を生で見たいと思うようになった。かつて料理人だった頃には考えたことがなかったが世界各地の食文化も興味が湧いてきた。元々、飯が不味いという理由で海外なんていきたくないと思っていたのだから、この変化はすごいと思う。

 

 

人生どこで、なにがしたくなるかわからない。

職業が関係してはいるものの、いつの間にかワインが生活の一部になっていた。周りの人も度々巻き込みながら、少しずつ世界を広げて行けたらと考えている。

 

 

私の人生はまだこれから。

 

私の仕事もきっところころ変わっていく。

 

今私が学んでいることが、少しでも今後のキャリアに関わっていくことを願っている。

 

人と一緒に暮らすということ

私は1年前から、付き合っている彼と一緒に暮らしている。

いわゆる同棲というやつだ。私自身、なんとなくこの"同棲"という言葉があまり好きではないのだけれど。

 

 

もともと私は一人暮らしをしていた。彼も同じく。

実は付き合ってわりと早い時期に、彼から一度「一緒に住む?」という申し出があったのだが、私がそれを断った。

 

私の実家はアパートで、自分だけの部屋というものを与えられていなかった。どこにいても家族の目から逃れられない。だから21歳で家を出た。やっと手に入れた根城は最高、一人暮らしってなんて自由なんだろうと毎日のびのび過ごしていた。なので彼のせっかくの申し出も、私にとってはあまり歓迎できるものではなかった。

 

 

それから早3年、私が転職するのを機にいよいよ一緒に暮らすことになった。

 

同じ家に住むために、以下の条件でお互い納得をした。

 

・家賃、光熱費は完全折半

・1人1室、自分の部屋をもつ

・その代わり2人の共同部屋も1室設ける

 

友達とかに私たちが別々の部屋で寝ていることを話すと、8割方おどろかれる。だけど私にとっては、毎日誰かと同じベッドで寝ている生活の方がおどろく。一人暮らし出身同士だと、どうしても一人の空間がないと厳しいものがある。

 

ちなみに、一緒に暮らすことはお互いの親にはそれぞれ了承を得ているが、特に挨拶には行っていない。将来一緒になるなんて話も一切していない。これも友達に聞かれたら渋々話すんだけど、かなりの割合で引かれる。外野がごちゃごちゃうるせえな、と思う。

 

 

実際に1年暮らしてみた結果、二人暮らしもなかなかいいもんだ、と思った。

今まで電車で片道1時間の距離を行き来していたのがなくなり、時間も電車賃も浮いた。それに一人分のご飯を作るより二人分(二人とも大食いなので正確には3~4人前)をどかっと作れるので気持ちいい。休みが月に2~3回しか被らなくても、同じ家にいるので喋りたいことがあったらすぐ部屋に行けばいい。

 

困ったことももちろんある。なんか私の方が家事をする回数が多い気がするとか、スーパーの食材費の負担が大きい気がするとか。そういう小さなもやもやは、言わずに我慢しても相手は全く気づかないのではっきり話して解決策を考えるようになった。家事だって「私はこれをやるかは、君はそっちをよろしく」と一言いえば済む話だ。仕事と一緒、指示出しが大事。逆にお願い事が飛んできたらちゃんとやる。

 

あとこれは、長く付き合っているからだと思うんだけど、外出先が固定されてきた。マンネリ、というやつ。これも彼の提案を待っていたら心がざわつくので私もいろいろ考えるようになった。

 

 

一緒にいる時間が長くなると、相手に"気付いてくれて当然のはずなのに"とか思うことが多くなる。相手が女性なら気付いてくれるかもしれないが、残念ながら男はマジで何にも気付かない。気付かないし、気付こうとしない。

でもその代わり、ちゃんと口に出してこちらがお願い事をすれば、なんとかして叶えてくれる。叶わなくても、それに近いことをしようと動く。なので勝手に黙ってイライラしないのが、一緒に暮らすコツだなと思った。

 

 

それでも、3日に1回はしょうもないいい争いをする。喧嘩っていうのはしない方が楽なんだけど、自分の気持ちを諦めて封じ込めるくらいなら言い返して喧嘩になった方がずっとましだと私は思う。というより、私は反射でカッとなって思ったことを言ってしまうからそこはすこし気を付けないとなんだけど。

 

 

そんなこんなで早1年。

今度はお互いの部屋を交換してみようという運びになった。何で今さらって思うかもしれないけれど、お互いに相手の部屋の方が条件がいいなと思ったので決めた。畳だったり、ちょっと収納が多かったり、住んでみないとわからないこともある。

 

暑くなる前に、家具の総入れ替えをする。すごく大変そうなんだけど、引っ越し気分がお手軽に味わえるし新しいインテリアを考えるのもわくわくする。 

 

 

一人暮らしもよかったけど、二人暮らしも私たちなりに楽しんでやっているので、一緒に住むことにしてよかったなと思っている。

ぜんぶ雨のせいにしてやれ

仕事に追われているとき。

 

勉強に行き詰まったとき。

 

他人の愚痴を聞かされたとき。

 

親しい人といざこざが起きたとき。

 

めちゃくちゃ嫌なことがあったとき。

 

 

こういうとき、すべてを投げ出したくなるよね。

私はもう常に投げ出したい一歩手前です。

 

 

何かあると、私はすぐに一人になる。何もしゃべらず、音楽を聴いたりご飯を食べたり。

そんなことをしながら自分に問いかける。

 

「何でそんなにイライラしている?」

「何でやりたくないことしている?」

「何で言いたいことも言えない?」

 

これ、問題が起きている真っ最中に自問するとめちゃくちゃむかつくんだけど(笑)、一人になってわりと冷静な時にやるのは自分をスッキリさせられる手段になる。

 

 

やりたくないけどやらなきゃいけないことっていうのは、何かのためにやっているわけであって、それをはっきりさせてみたり。

 

嫌なこと言われたり聞かされたりしても、私が言いたかったことは実は相手を悲しませてしまうものだからとか、何か理由があって言えなかったり。

 

何事も、その選択をした裏には何かしらワケがある。

 

ある一方を選択することが面倒だったり苦痛だったりするから、もう一方を選択するわけで。

 

 

逃げとか言われてもしょうがない。

 

逃げたら逃げたあと、また選択を迫られるし。

逃げなくてもどうせまた、選択を迫られる。

 

ただ、カッとなってしまったときに勢い余って選択をすると後に後悔することが多いので、私はまず一人になって考える時間を設ける。ゆっくり落ち着いて考えると、段取りだとか、手段だとか、脳内一人作戦会議は速やかに進んでいく。

 

 

あまりそう思われていないので言っておくと、私は頭に血がのぼりやすい。結構ささいなことでカッとなるし、感情がめちゃくちゃ揺さぶられる。

 

でも自覚しているだけ、マシだと思う。他にも、お酒を飲むと喋りすぎてしまうとか、真夜中にTwitterに絶望的に痛い文章を投下してしまうとか。感情が外に出ていってしまう瞬間も最近わきまえてきた。わかっているから気を付けられる。

(まあそれでもたまに出てしまってはいるのだけれど)

 

超内向的人間なので、自問自答でしか物事を解決できない。人に話すと罪悪感や劣等感に苛まれる。だから一人になって考える。

 

 

嫌なこと、たくさんあるよ。

 

でもそれずっと続く訳じゃないし。何か動き続ければ事態は変わっていくし。そう言い聞かせつつ、自分で自分の本音を掘ってみたりして、根暗な私はそういうやり方でどうにか世渡りしている。

 

 

何が言いたかったのかよくわからなくなっちゃったんだけど、まあきょうも投げ出さずに向き合っていますって話。

 

あまり考えずに書き始めてしまったので、ぐだぐだになってしまった。こんな日もある。雨なので、少し暗い話でした。

 

「私なんかが」だけは絶対に言ってはいけない

言霊というものがある。

 

言葉に宿る霊力を表す言葉なんだけど、言葉って本当に力を秘めたものなんだなあと思うことがたまにある。

 

 

ネガティブな言葉を発していると、いつの間にかうつ向きがちな生き方になってしまう。

 

「私なんかが」

「どうせ」

「もういい」

「出来るわけがない」

「私は不幸だ」

 

本人にその気はなくても、このどれかひとつでも発するとやがてこれら全ての言葉が口癖になる。

 

私の周りにも、なぜこの子はいつも悲観的な考え方しかできないんだろうって思うような人がたまにいる。そういう人は往々にして、上記のような言葉を発する。

 

 

"どうせ、私なんかが出来るわけがない、だって私は不幸だから、だからもういい"

 

 

確かに、私には想像も出来ないような辛い出来事に遭遇しているかもしれない。大きな傷を負っているのかもしれない。

 

以前はそういう言葉を聞いたとき、かわいそうだなあと思ってよく話を聞いていた。辛いんだろうなあ、助けてあげたいなあ。そう思って寄り添い、話を聞き、こうしてみたらどうかなあ、なんて提案もした。

 

でもね、無駄だって気付いたんだよ。

 

だってどうしたって、そういう人たちは次から次へと不幸を見つけてくるんだもん。

 

まるで自分から不幸になろうとしているみたい。

 

 

不幸に慣れてしまうことは怖いこと。

何事も、どうせ無理だという前提で取り組む。仮にうまくいっても、自己肯定感が低すぎるのでその現実を認めない。そして失敗したとき、思った通りにならなかったとき、こう言うのだ。

 

「やっぱりだめだった」

 

私には、だめになることを望んでいるようにも思える。不幸に慣れた人間は、不幸に陥ると落ち着く。不幸だなあと嘆くことが当たり前になっている。自分は恵まれなくて、見方がいなくて、努力しても報われなくて、だからまたうまくいかなかったんだ。そうして納得してしまう。

 

こんな風になってしまっている人をね、私一人でどうこうしようなんて無理なんだ。むしろ引きずり込まれないようにするので精一杯。

 

だから最近は、そういった人からそっと離れている。私は不幸じゃないから。もしかしたら不幸なときもあるかもしれないけれど、でも決して自分から不幸だとは言わないよ。

 

 

実は少し前まで、私も「私なんかが」って言うのが口癖だったんだ。少し前っていうか、5年くらい前。今はもう思い出せないような悲しい出来事とかいろいろ重なって、自分なんてどうでもいいと思っていた。

 

私が「私なんかが」を封印したきっかけは、彼にもう絶対にそれ言うなって注意されたから。「私なんかが」を封印した瞬間、何だか自信を取り戻せた。自分を大切にするってこういうことかってわかった。

 

 

だから私も、誰かが「私なんかが」って言ったら、それ禁止!って注意している。そこから先は、もうその人次第。何も変わらないならそれまでだし。でも私みたいにハッと気付いて自信を取り戻せるようになってくれたらうれしい。手取り足取りではなく、自分で気付かないと、きっと変われない。

 

 

誰の言霊にも、命が宿っている。

 

少しでも明るく前向きな言葉を選びたい。

 

もちろん、たまには口や弱音を吐くときもある。

 

それでもせめて、自らを貶める言葉だけは慎む。

お金の使い方が下手な私の話

家計簿ってつけてる?

 

私は去年の夏頃からつけ始めて、今もつけている。

 

 

つけ始めたきっかけは、月末に財布がすっからかんになるのを疑問に感じたから。

 

去年の春の転職したお陰で給料が少し増えた。それに引っ越しもして家賃は以前より下がった。

生活が少し楽になって、お金も余るに違いない!って思ったんだよ。

 

なのに、残らない。

 

おかしいなあって思った。贅沢しているつもりなんてないのに。だけどふと思い返してみると、何にお金を使ったかイマイチ思い出せない。

 

これでは改善しようがない。なので家計簿を始めた。

 

 

家計簿って言っても、きっちりかっちりやっている訳じゃない。

基本的に支出のみの羅列。どこで、何を買って、いくら支払ったかを書く。レシートをもらう習慣さえなかったので、最初は慣れなかったけどやってみたら意外と続いた。

 

【家計簿でわかったこと】

・コンビニで数百円単位の買い物を毎日1~2回していた

・仕事の日の昼ごはんが週に2回くらい1,000円越え

・服や雑貨はほとんど買っていない

・友達も少ないので交際費もそこまでかからない

・近所で事足りるので交通費も月2,000円程

・だけどとにかく、食費が高い

 

私は仕事の日は朝10時過ぎに家を出て、夜23時半頃に家に着く。

寝るのが遅くて朝起きられず、最初は家で食べていた朝ごはんもいつの間にかコンビニ頼り。お弁当を作るのも気分が乗ったときだけ、なんか達成感のあった日は1,000円以上のランチを食べてみたり。夜はお腹が空きすぎて我慢できずに外食かコンビニ。

 

【自己分析の結果】

・食生活がグダグダで体調不良

・朝の出だしから躓いている

 

つまりこういうこと。ひとつの乱れから足場が崩れ、いろんなところに支障をきたしていく。

 

贅沢をしていないつもりだったけど、自炊せず外の食事にほぼ毎食頼ることはとても贅沢なことだ。だけどそういった食事は楽に摂取できるだけで感動も何もないので贅沢している実感がない。しかもコンビニとかで支払う金額は3桁に収まるので、お金をたくさん使っている実感が全くない。これが"何にお金を使ったかイマイチ思い出せない"理由だった。

 

今までよりお金が残ると当たり前のように思い込んで、生活が少しずつ贅沢になっている。その変化に気付かなかった。

思い返してみたら、以前は朝ごはんを家でとり、昼ごはんは社食なので200円位で済む。夜ご飯はたまに外食だったりコンビニだったり。でも家で作ることが多かった。

 

確実に、食事にかけるお金が増えていた。手軽さにお金を払い、栄養や満足感は二の次。そして調子が優れず悪循環に陥る。負の連鎖を絶ち切らないと、お金も健康も何もかもドブに捨て続けることになると、ようやく気付いた。

 

 

それからは、家計簿をつけながら食事の在り方をよく考え直した。面倒でも、自分で料理したものを食べると満足感や達成感がある。そして何より、添加物の量が減るので体にいい。

 

朝ごはんをちゃんと家で作ることにした。作ると言っても、食パンを焼いて目玉焼きを乗せるだけ。もともとやっていたことだけど、いつの間にかサボっていた。だからもとに戻した。

 

朝気持ちよくご飯を作るために、前の日に洗い物をたくさん残すのをやめた。ずぼらな性分なので、つい朝やればいいと思ってしまう。でも朝になると、いざご飯を作ろうにも溜め込んだ洗い物を想像してやる気をなくす。やる気をなくすものを突き詰めて徹底的に取り払うことが大事。

 

 

お金が残らない原因はお金の使い方が問題なのかと思っていたけど、問題だったのは日々の過ごし方だったりする。実際、交際費や洋服代は普通の人より圧倒的に少ない。

 

で、日々の過ごし方を突き詰めると、食生活の乱れに気付く。悪いサイクルが生まれて、当たり前のようにしょうもないところにお金を使う。

 

 

前に何かの本で読んだんだけど、こんな話があった。

 

「彼は牛丼屋で卵を乗せるか考えたあと、乗せるのをやめた。なぜなら、卵ひとつに60円なんて払う理由がないからだ」

 

私はラーメン屋とかで味玉とか見つけると、ほぼ必ず乗せてもらっていたのでショックを受けた。確かにラーメン屋の味玉ならまだラーメン屋のこだわりの製法とかあるかもしれないけれど、でも100円くらいする。卵1パック200円もしないことを考えると、店側の利益がうかがい知れる。

 

こうしたところにも、以前言った"ちょっといいものに目がない"だめな思考が現れるんだよなあ。なくてもいいようなちょっといいもののために、ちょっと多くお金を払う。その"ちょっと"が塵つもでかさんでいく。でも"ちょっと"しか払っていないので違和感がない。

 

 

ずぼらで、考えることが嫌いで、過程で気付かず散々な結果に直面するまで現状を変えない。すっごいダメなことだね。

 

私のお金の使い方がまさにそう。だから家計簿で"過程"を見るように変えた。

 

 

家計簿をつけてもう8ヶ月。

習慣を変えるのは時間がかかるけど、時間をかければわりと変えられると実感している。

 

 

だって今、給料日前の私の財布には、ちゃんとお金が残っている。

 

そんな当たり前のことが出来る"普通の人"に、ちょっとずつ近づいている。

 

 

 

結局なんでも、経験がモノをいう

値段の高いものは絶対的にいいものであると信じてしまう。

 

これは"人生経験が浅い人の性"だと私は思っている。だって私も大人になってしばらくは本気でそう思っていたもん、高いものはスゴい!ってね。

 

 

何千万もする宝石は絶対的に価値がある、何十万もする家電は絶対的に便利、何万もする食べ物は絶対的に美味しい。そう信じて疑わない。

 

とにかく、私たちがいろんなものを我慢してもやっと手に入れられるか否かというようなものが、いいものでないはずがない。だってもしいいものでないのなら、なぜそれはその値段なの?

 

 

大人になるまで、モノの値段がどうやってきめられているかなんて考えたこともなかった。

 

でも最近思う。値段の決め方って結構いい加減なんじゃないのかなって。いい加減、はちょっと言い方がよくないけど、そこまで絶対的ではないよね。

 

 

そう感じたきっかけは、ワイン。

私は最近、ワインをよく飲むようになったんだけど、とにかく値段がバラバラで驚いている。だって原料は同じブドウだよ?スーパーにあるような1本300円のワインもあれば、1945年のロマネ・コンティのように1億円以上もするワインも存在する。

 

その価格差は、稀少性と需要の高さにある。

地域が限定され、畑が限定され、製法が限定され、製産本数が限定されると、値段はみるみる上がっていく。そこにたくさんの人がこぞって欲しがると、さらに値段は跳ね上がる。

反対に、どこでも簡単にたくさん作ることができると、値段を下げて叩き売りすることもある。

 

もしも1945年のロマネ・コンティを誰も欲しがらなかったら、1億円以上という値段はつかないんじゃないかな。きっと熟成された複雑な味わいなんだろうけど、それを誰も美味しいと感じないのなら価値なんてない。

 

 

いつだって、価値を見いだすのは人間様。

 

人間様が必要とすれば、その対象物には価値が生まれる。

 

そしてたくさんの人が必要とすれば、さらに価値が高まる。

 

だけど、たくさんの人が必要としているように見せかけることも今の時代では容易いと思う。

 

 

例えば、インフルエンサーと言われる人たちに企業が商品PRを依頼する。よくインスタグラムでは可愛い女の子が同じような時期に入浴剤や健康食品を紹介しているけど、大抵は企業案件である(その証拠にPRというハッシュタグがついているはず!)。

 

そういった背景を知らない人たちがその投稿を見ると、「ああ、この商品がいま流行っているんだな」「こんなにたくさんの人が使って良かったと言っているならきっといい商品なんだな」と勘違いする。

 

もちろん商品は飛ぶように売れる。例えその商品に感動や効果がなくても問題ない、次から次へと流行りは移り変わっていくのだから。それに、かわいいあの子と同じものを使うという満足感だって味わえる。

 

 

ちょっと冷静になれば、その商品は大したことがないということにすぐ気付くはず(中には本当にいいものもあるかもしれないけれど)。でも考えることをやめてしまうと、たちまち流されてしまう。

 

たくさんの人が使っているからいいもの?たくさんの人が全員グルだったらどうするの?

 

 

ここで冒頭に戻る。

 

"値段が高いものはいいものだと決めつけるのは人生経験が浅い人の性"と言った。

 

それはつまり、"自分たちが手に入れられないものは高価でいいもの"だと決めつけること。そして、ここで考えることをやめてしまうこと。

 

どうしたら手に入るのか、それは私にとって価値があるのか、そもそもその価格は適正なのか。いろんなことを考えることを放棄する。だってそれが楽だから。

 

ちなみにお金を持っている人って意外と財布のヒモがかたい。本当に価値のあるものがわかるからなんだって。

価値のあるものにはお金は惜しまないけど、価値のないものは1円も使いたくないって、なんだかとっても合理的。

 

 

決められていることには、理由がある。いつだってそれを頭の片隅に入れておいた方がいいはず。

 

何でも鵜呑みにするより、すこし疑ってみる。大人になって私が覚えたこと。そのブランドの服は、デパートの高級なコスメは、レストランのコース料理は、どんな価値があってその値段なのかなって。

 

 

みんながこれだけ払うから、じゃなくて、自分が納得したからこれだけ払う、ということが当たり前になるといいよね。

 

 

でも忘れてはいけないことがある。

 

価値とは、付けられた値段によって誰にでもわかりやすく数値化できるけど、本当はその価値って人によってそれぞれちがうものだということ。

 

自分に自信を与えてくれるもの、世界を広げてくれるもの、大切な誰かの笑顔が見られる場所。たとえ人にバカにされようと、自分にとってものすごく価値のあると思えるものなら堂々と手にいれた方がいいと思う。逆にそういうものって手にいれないといつまでももやもやするし、いつか後悔するかもしれないから。

 

 

多角的に見ること、時に疑うこと、自分の軸を持つこと、そして決断力、これがあればきっと後悔の数は減る。そして人生経験が豊かな人になる。

 

 

人生経験の豊富さって年齢に比例しないから。これはわりとガチ。