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いよいよ現状が恐ろしく感じるようになった

私は、とあるワイン屋で働いている。

 

飲食スペースが30席くらい設けられているので、もはや飲食店で働いているような状態だ。

 

私の前職は料理人で、わりとちゃんとした料理を作ってきた。しかし体力勝負のこの業界で、今後働き続けることは無理だなと悟って転職。

 

ワインは別に嫌いじゃないけど、最初はブルゴーニュボルドーの違いもよくわからなかった。それでも私が就職できたのは、前職のスキルが買われたからだと思う。

 

飲食に関してはド素人が集まる集団が、一丁前に飲食店を構えている。それは凄く滑稽だ。

 

さらに笑えるのが客に出してる食事。出来合いのものを電子レンジで加熱し直して出すだけ。私が客だったら絶対に金なんか払わない。見ただけでそれが出来合いかどうかわかるし、原価もある程度想像がつく。

 

調理済みでパック詰めされた冷凍食品を湯煎したり、解凍して切って出すだけだったり。客をなめてんのかって言いたくなるようなものばかり出している。それもなかなかの強気な価格で。

 

なぜこのようなものしか出せないのかというと、換気設備がないからだ。だから火を使えないし、煙すら出すことができない。

 

この会社は、このような店を次々増やしている。換気設備をつけることなく、申し訳程度の小さな冷蔵庫と冷凍庫を備えた造り。なにがしたいのかわからない。

 

私はここで、ワインを好きになりたいと思っていた。もっと知れたらきっと楽しくなると期待していた。だけど私が販売側に立つことは滅多になく、飲食スペースの運営ばかりしている。

 

正直、ここに入って成長など感じたことがなかった。ワインに少し詳しくなっただけ。それでも資格試験は落ちたし、楽しげに飲んでいる多忙な常連客がその試験に受かったと聞いたときは不甲斐なさを感じた。

 

いまの仕事は、前職を名乗るのが恥ずかしいくらい下らない仕事だと思っている。元フレンチ料理人が電子レンジ調理してそれを客に出しているなんて、聞いて呆れる。

 

さらにうんざりするのが、飲食スペースでの仕事は販売側の倍以上、身体を使う。非常に疲れるのだ。

 

少ない枚数の皿を何度も洗ってはまた使う。ワイングラスも吹いては注ぎ、また汚れる。店が閉まる頃には大量の洗い物。それを退勤時間までに片付ける。

 

あしたもまた汚れるグラスや皿を、来る日も来る日も繰り返し拭く。これほど不毛な作業があるだろうか。

 

私のやっていることはこれだけじゃないけど、疲れきった1日の終わりにやることは皿洗い。これじゃあ前職よりひどい。こういう仕事から逃れたくて転職したのに、本末転倒だ。

 

それに加えて会社から指定されているバカみたいに項目の多いチェック表、これに毎日シャチハタを押す。こんなにたくさん押していたら、あっという間にインク切れになりそうだ。

 

さらにつらいのがこの勤務地。家からドアtoドアで片道1時間20分。何の思い入れもない町に通い、たかだか駅ビルの商業施設の中の1テナントで働く日々にいい加減うんざりしてきた。ちなみに町名は伏せるが、民度が低い。

 

話しかけてくる常連客にもうんざりしている。酒を飲んでだんだん饒舌になっていくその様を見ると、温度差を感じる。なにも生産性もない話、だけど先輩たちが上手にうなずくので私もやらなくてはいけない。ここはガールズバーなのか?と思うくらいに媚びるのは、本当につらい。

 

それでも、常連客は邪険にはできない。ダイジナオキャクサマだから。店舗ごとに予算があって、それを達成できないと査定に響く。イコール減給もある。シビアに聞こえるかもしれないが、至極全うだとは思う。ただ、個人の最良ではできることに限りがある。だから私たちは常連客にはとびきりの笑顔で接客するし、商品を買ってくれたら黄色い声で感謝の言葉を紡ぎ出す。

 

ほかにも、何か作業をしているときに限って客に話しかけられたりする。仕事が中断するのは本当にいらいらする。自分のペースで働きたいのに、職場のパソコンは取り合いで忖度必須。私の仕事は洗い物だけではない。メニュー考案やもろもろの管理、パソコンが必要な仕事もそれなりに抱えている。なのにオーダーが入ったらパソコンの前にいる私にオーダーを言いに来る。うるせえな、と思いながら電子レンジのスイッチを押す。

 

繰り返される毎日、繁忙期に向かうにつれて疲弊していく。それに反比例するかのように、なぜかアルバイトたちはシフトを減らす。クリスマスや年末だからという理由。私はそれがゆるされない。なぜなら社員だから。

 

社員なんて響きはいいけど、実際は使い勝手のいいコマでしかない。はじめから本部に行かない販売員は、一生店長止まりである。我ながら、なんでこんな業界に入ったのかと責めたくなるときもある。

 

ようするに販売員も料理人も然りなんだけど、現場で汗かくようなところでスタートしたら、一生コマ使いされて終わるのである。ならどうすればいいのか、雇われずに自分で仕事を作っていくより他ない。

 

最近、洗い物をしていると本当に怖くなる。

 

これを拭いたところで、あしたまたどうせ汚れるだろう。

 

1週間後もきっと電子レンジの料理を出すだろう。

 

1か月後も適当にワインを売っているだろう。

 

1年後も繁忙期は目の回る忙しさだろう。

 

じゃあ3年後は?5年後は?10年後は?

 

私のいく道はずっとこのままなのか?

 

そう考えると、胃液がせり上がってきそうなほど気持ちが悪くなる。胃がきゅっと締め付けられる。

 

商材がワインというだけでどこか誇らしい気持ちになりがちだけど、たかだか酒だ。ブドウから搾り取った液体だ。そしてこれは、だれにでもできること。代わりなんていくらでもいるのだろう。

 

私には生活がある。自分で生活費を稼がないと家にもすめないし食事にもありつけない。いますぐに仕事を辞めたらまた次を探さなくてはならない。だけどもう、自分の時間を切り売りするような仕事だけはいやだ。時間を切り売りすると、心もすり減っていく。

 

もうたくさん考えた。考える時間はたくさん費やしたが、考えるだけではなにも変えられなかった。当たり前だ。この道以外の行方は、いままでにない行動をした先にしかない。

 

もう、やるしかないんだよ。

 

心でそう呟いて、その言葉を噛み締める。

 

やらなきゃこのまま、客にへらへら媚び売って汚れるとわかっているグラスを洗い続けるだけ。

 

もういやだ。

 

いやなんだよ。

 

こんなところにいたくない。

 

私を助けてあげられるのは、私だけだ。

 

 

敢えて居心地のいい場所を離れるということ

私は声が大きい。

 

特に笑い声が、ばかみたいに大きい。

 

幼い頃から大きかったわけではない。

 

声が大きくなったきっかけは、自分を知る人がいない高校に進学したことだった。

 

 

 

高校生になってしばらく経ったある日、私は実家の居間にいた。

 

その日は狭い我が家に親戚の人たちが数人集まっており、家族もみんな揃っていた。

 

みんなで雑談を交わしていたと思う。そんな時、家の外で子供が騒ぐ声がした。その場所はうちの敷地内で、勝手に人が通ることがあまり望ましくない。そこに3人の子供が集まって何やら騒いでいた。

 

家の窓が空いていたので騒ぎ声は私たちの会話の妨げになっていた。

 

次第にうるさくなる声。

 

私はその場で咄嗟に、

 

「うるさいよ!!!」

 

と言った。

 

子供たちのあわてて逃げていく足音。

 

ふう、と息をつくと、唖然としたみんなの顔。

 

「そんなおっきな声が出るんだねえ」

 

「もっとおとなしくなかったっけ?」

 

 

 

確かに、私は元々すごくおとなしかった。

 

周りにいた友達も目立つような子は少なかったと思う。友達とつるんでいたり、ひとりでお絵描きをしていたり、家族や親戚が知る私は本当におとなしい。

 

 

 

だけど、そんな自分が嫌になった。

 

いてもいなくてもかわらないような自分の存在感も嫌だったけど、なにより"自分を変えたい"という思いがあった。

 

 

 

だからこそ、いや、それだけが理由ではないが、私を誰も知らない高校に進学した。

 

 

 

いざ入学すると、周りは互いを知っているような雰囲気。

 

進学校でもなんでもなかったので、生徒の大半が近隣に住む人だった。周りはきっと、同じ中学、同じクラスの仲間同士。部活の大会で競いあった仲かもしれないし、はたまた幼馴染みで小中学校は別だったが高校で再会を果たした人たちもいたかもしれない。

 

 

 

だけど私にはどうでもいいことだった。

 

だって私は、誰も知らない。

 

私のことも、誰も知らない。

 

私が教室の隅っこで大人しくしていたことも、声が小さくてうつ向きがちだったことも、誰も知るはずがない。

 

 

 

席が近い子から、とりあえず声をかけたり掛けられたり。何中?と聞かれて答えたら「どこそれ!?」と興味を持ってもらえたり。

 

心掛けたのは、声が小さくならないこと。相手の目を見て笑うこと。

 

意外と、ふつうに友達ができた。

毎日たのしく過ごせた。

 

 

 

それから、勢い余って武道も始めてみた。

 

もともと弓道に興味があったが、入学した高校にはそれがなかった。そのかわり、ものすごくマイナーな"なぎなた"という部活があった。これが想像以上に過酷な部活だったが、なんとか3年間乗り越えた。

 

このなぎなたという武道は、剣道に似ている。長さ2メートル以上のなたで、相手の面や小手を叩く。毎日、打突部位を叫ぶ。お陰で、声がしっかり出るようになった。年がら年中叫び続けた、メンドースネコテ。私の声帯が震え続けた3年間。

 

 

 

家族や親族は、私の部活風景を見たことがなかったのでこの過程を知らない。

 

だからこそ、唐突に大きな声を出した私に驚いたんだと思う。

 

もしかしたら、高校で一歩踏み出さなかったら、私は本当に大人しいまま、苔のように地味なまま、誰の記憶からも消えてしまうような、薄い存在感のままだったに違いない。

 

誰かと同じ高校に行きたいとは、微塵も思わなかった。小中学校の卒業式では、涙も出なかった。その頃の友達が嫌いだったわけではない、むしろいまでも大好きだ。

 

それでも、居心地のいいところにいたら私はきっとダメだなあと、幼いながらに思っていたのかもしれない。

 

 

 

高校で得たものは、大きな声だけではなかった。

 

10年経っても変わらず会える友達。卒業して8年以上続けられた料理という得意分野。

 

代わりに失ったのは協調性。これはありすぎてもよくないので、ちょうどよかったと思っている。友達と足並みを揃えなくたって、誰にもとがめられない。

 

 

 

高校進学という選択で得られた教訓。

 

自分を変えるなら、居場所を変えろ。

 

 

 

自分を変えたくて、誰も知らない高校へ進学した。

 

料理の道を歩みたくて、大学ではなく専門学校を選んだ。

 

自立したくて、ひとり暮らしをはじめた。

 

外の世界を知りたくて、仕事を変えた。

 

 

 

今度は何を変えるために、私はどこへ行くんだろう。

 

少し変わった自分を見て、またみんな驚いたらいい。

わたしが敬愛する美容師さんの話

私は3ヶ月に一度くらいのペースで美容室に通う。

 

いつも同じ美容室。

カットとカラーで9,260円。

 

薄給の私がめちゃめちゃ安い美容室に甘んじることなく、ここに通い続けるには理由がある。きょうはその話をしてみる。

 

 

 

私は中学生になるまで、父親につれられて床屋に通っていた。

 

そこの店主は気さくな女性。腕も悪くない。悪かったのはうちの父親。毎回、私の意見を聞くことなく店主に言う。

 

「こざっぱり短くしてやってな!!」

 

床屋の施すこざっぱり"は、男の短髪のようなそれに等しい。床屋的には間違っていないが、私的にはがっかりだ。なんだこのつんつん頭。ベリーショートなんて、美人にしか似合わない。

 

(この顔面に男のような短髪で幼少気を過ごした私はいろいろこじらせるわけだが、その話はまた別の機会に書くことにする)

 

 

 

中学生になったあたりから、意を決して美容室に足を踏み入れた。

 

床屋の店主とはまるで違う、きらきらした若い美容師たちに迎え入れられた日を今でも忘れない。

 

帰りたい。

 

真っ先にそう思った。

 

私は重度のコミュ障を患っていたので、学校でも隅っこの方にいた。内弁慶なので仲間内ではよく喋っていたが、スクールカーストの上位に君臨するようなクラスメイトと話すことはなかった。

 

美容師たちは、間違いなくスクールカーストの上位に君臨していたような人たちだった。派手な装い、奇抜なメイク、自信に満ちた笑い声、きらきらした目、何もかもが私を追い詰める。

 

髪を切ってもらっている間の会話が、とにかく苦痛だった。最近でかけた場所だとか、クラスにかっこいい男子はいるかとか、美容師さんの休日の過ごし方だとか、何かしら話し続けなくてはならない空気感に辟易していた。

 

美容師さんにとっては、お客さんを退屈にさせないのも仕事のひとつ。だからいろいろ話しかけてくれていたのはわかっている。それでもどうか、目の前に小型テレビを設置してそこでハリー・ポッターでも流してくれないかと切に願っていた。あわよくば"お話不要札"みたいなものがあればいいのにとも考えた。そしたら即座に掲げるのに。

 

ただ、肝心な髪型の仕上がり自体は悪くなかったと思う。いわゆるフツーのショートカット。これには満足していた。思春期真っ盛りの私にとって何より大事なのは、二度とつんつん頭にならないことだったからだ。

 

 

 

私がかつて、いかに美容室という場所を苦手としていたかわかっていただけただろうか。

 

ちなみに、切りに行かないという選択も考えたが、毛量が馬鹿みたいに多かったので通わざるを得なかった。毛量を減らす切り方は、素人には難しい。毛量が少なかったら、長さを整えるくらいきっと自分でやっていたはずだ。

 

 

 

 

そんなこんなで、しばらくは近所の美容室を渡り歩いた。どこにも馴染めずに、かといって行かないわけにもいかず、仕方なく足を運び続けた。

 

ある日、友達が通っているという美容室に行ってみた。

 

そこは後に、私がいまお願いしている美容師さんに出会う美容室だ。

 

ここも他と変わらず、別に居心地がいいとは言えなかった。けれどその時にはもう高校生だったということもあって、若干だが美容室の雰囲気に慣れてきていた。美容師さんとの会話は大体パターン化していたので、どう切り返したら無難に話が進んでいくのか把握している頃である。

 

特に他の美容室に行く理由もなかったので、これを機に私はこの美容室に通い始めた。担当の指名などはせず、その時に空いている人にお願いする。それをしばらくつづけた。

 

 

 

ところがある日、店の名前が変わった。

 

スタッフも複数いたはずだが、気がつけばたった一人になっていた。

 

以前は店にいなかった、たった一人の男性美容師。

 

この人こそが、タイトルでも宣った"敬愛する美容師"である。

 

 

 

その美容師さんは、いままでその店にいたどの人よりも年上に見えた。30代半ばくらいだろうか。とても落ち着いていて、物腰はやわらかく、どこか飄々としている。話の内容も当たり障りがなく、それでいてこちらが気後れしないようなありふれた日常について淡々と話を振ったり自ら話したり。

 

自分のペースに巻き込むような勢いのある若手美容師さんたちと違うところは、その会話術だけではない。髪を切るのがとにかく早い。仕上がりも私が期待した通り。やがてカラーリングをお願いするようになるのだが、カラー剤を塗るのもめちゃめちゃ早い。拙い言葉で伝えても、思い描いた色に染まる。

 

この人はちゃんと研鑽してきたんだなあと感じた。

 

指名も何も、美容室にはその人しかいないので、必然的に担当美容師となった。後から知ったが、以前の美容室はまるごと撤退したらしく、それからこの場所を居抜きで経営しているのがこの美容師さんだったのだ。

 

それから数年は、特に大きな変化もなく、淡々と通い続けた。私のなかにずっとあった"美容室への苦手意識"も、この頃にはだいぶましになっていた。

 

 

 

社会人になって4年目が過ぎた頃、私はいつも通り伸びた髪を切ってもらうために美容室に訪れた。

 

その頃の私は、仕事内容や周りへの不満がピークに達していたのを覚えている。今思えば、何を一丁前に文句垂れているんだと言いたくなるが、当時は真剣に苛立っていた。

 

そんなところに、美容師さんから「そういえば最近、仕事はどうなの?」と訊かれた。

 

美容師さんは私の当時の仕事を知っている。私はもともと料理人だった。そしてその質問は、ただの興味本意だったんだと思う。

 

私は、自分のなかに溜まっていた愚痴を吐き出そうとした。

 

 

 

結論から言うと、愚痴は言えなかった。

 

少し前に遡る。美容師見習いとしてアシスタントをしている友人に話を聞いていた。

 

美容師がスタイリストとして一人前の仕事をするためには、シャンプーやカラー、パーマなど、髪を切る以外にも様々な技術を習得する必要がある。その練習は毎晩、営業終了後から深夜に及ぶらしい。

 

この美容師さんもそんな過去があっての今だと思った。ましてやこの手際のよさ、きっと人一倍努力をしたに違いない。他の美容師さんもそうかもしれないが、とにかく美容師で在るための苦労には頭が上がらない。

 

愚痴を言おうとする直前にそんなことを思った。

 

だから言えなかった。

 

 

 

代わりに私は、当時の仕事について大変だと感じていることについて話した。

 

覚えたてのグランドソースの状態が安定しないこと。直径が40cmある鉄製のフライパンが重たくて上手に食材を煽れないこと。最近はじめた氷彫刻がなかなか難しくて思うように仕上がらないこと。

 

美容師さんはそれについて、答えを知っているわけてはなかった。料理人じゃないから当たり前だ。それでも、私の話を聞いて深くうなずいたり、自分事のように考えてくれた。そして、美容師ならこういう考え方に置き換える、とか、俺ならこうするかな、といったアドバイスをくれた。

 

その内容は、なるほどなあと思うことが多かった。料理人と美容師はやっていることが全く異なるけど、研鑽の積み重ねがお客様の幸福度に直結する面ではいっしょだなと感じた。

 

 

 

それから、私は美容室に来る度に仕事の話をした。

 

美容師さんの仕事の話も聞いた。カラーひとつにしても、外国人は"私の髪にこの色を入れてみて"というように本来の自分を大切にするオーダーをしてくるのに対して、日本人は"私の髪をこの色に変えて"とオーダーしてくる。こんなところにも国民性が表れるらしい。

 

やがて、私の仕事は鉄板焼きレストランの焼き手に変わっていた。ホテルの最上階で、鉄板の上に火柱を上げながらブランド牛のかたまりを焼く。今までの厨房内で完結する料理とは全く勝手が違ったので、慣れるまで苦労した。

 

私は人と話をするのが苦手だったので、お客様との会話に困ることが度々あった。それを美容師さんに相談すると、間合いの取り方やニーズの汲み取り方を教えてくれた。

 

いつの間にか、仕事で困ったことがあると、美容師さんに相談するようになっていた。

 

この美容師さんは、どういうわけか世辞を言わない。客である私が言ったことに対して、ダメなものはダメと言うし、興味がないことは興味がないとハッキリ言う。この人のアドバイスはいつも的確だ。

 

 

 

それから3年。

 

相変わらず私はこの美容室に通っている。

 

この日は美容師さんと仕事の話ではなく、他愛のない雑談をしていた。指を慣らすと関節を悪くする、とかそういう話。美容師さんは言った。

 

「手を使う仕事だからねえ、指も大事にしないと」

 

美容師は手が何よりも大事だ。ハサミを司り、髪を自在に操る。なるほどなあ、と思いながら私は答えた。

 

「手を使う仕事の人は大変ですよね」

 

そう言いながら、自分の指をぱき、ぱき、と鳴らして見せた。

 

すると美容師さんはハサミを置いて、私の両腕を掴んで引き離した。そして笑いながら言う。

 

「俺も貴女も、使うでしょ」

 

 

 

 

実は1年前、私は料理人を辞めてしまった。

 

いろんなことに不満や不自由さを感じていた。だけど辞めた一番の理由は、生活費が足りなかったから。

 

美容師さんにも話していたので、今私が何をしているかもちろん知っている。

 

隠す必要もないので正直に言うと、私の今の仕事はワインコーディネーターだ。これは名刺の肩書きであり、平たく言うとワインショップの販売員である。

 

生活に困窮して料理を辞めたものの、食卓という場に関わりたい意志がまだあったので、往生際悪くも選んだのがこの仕事だ。

 

(ちなみに給料は多少上がり、生活は少し楽になった)

 

私の勤める店舗では、ワインを売るだけでなく実際にワインを飲むことが出来るスペースもある。なので日々、ワインのコルクを抜栓したり、簡単なつまみを作って提供している。私にとってそれは、手を使う内には入らなかった。

 

 

 

 

だけど美容師さんのその言葉は、そんなことを言っているのではないとすぐにわかった。そして付け加える。

 

「また何か、手を使って仕事したくなるかもよ」

 

再びハサミを手に取り、器用に動かし始めた。

 

「こちら側の人間はひねくれているからね」

 

 

 

一時期、私は料理や食と全く関係のない分野の求人に応募していた。平日は8時から17時まで勤務、年間休日120日以上の一般事務。かつてシフト制で11時半から21時まで勤務、年間休日104日で働いていた私が悩んだあげく目指したのは、安定。

 

面接はことごとく落ちた。私に適正がないのは明らかで、何より仕事内容を説明されたときに返答に困ってしまった。真っ先に抱いた感想が"つまらなそう"、自ら志願しておきながらふざけている。

 

そんなとき見つけたのが今の職場の求人だった。

 

ワインなんてこれっぱかしも興味はなかったが、これなら今まで積み重ねたものが無駄にならないと思った。そのまま応募し、あっさり入社。多分長くは続かないけど、まあ全くかけ離れたことをしているわけではないのでそれなりにやれている。

 

少なくとも、一般事務よりは私にあった仕事だとは思う。

 

 

 

「私、ワインそんなに興味ないです」

 

「だろうね」

 

「でも人が舌で味わえるという点では、前の仕事と着地点が似ている気がします」

 

確かにねえ、と美容師さんが真顔で頷いたのを覚えている。

 

「ただ、ワインは自分で手を加えることは出来ないのでちょっともどかしいというか」

 

「小売業の宿命だね」

 

「その点料理は自分で手を加えられて面白かったかも。料理に限らず、何か作ったり絵を描いたり、そういうことが結構好きかもしれないです」

 

「知ってたよ」

 

美容師さんは穏やかな顔で、次のように言ってくれた。

 

 

 

「いろんなことに興味持てばいいの。続けなきゃいけない決まりなんてないし。ばらばらな分野にそれぞれ夢中になったって、いつか繋がるときが来る。きっとすべてが財産になる。軸が何になるかは将来の貴女次第、いらない経験や知識なんてひとつもないからね」

 

なんでもこじつけだね、と言いながら美容師さんは続けた。

 

「いま意味がないかもなあと不安になりながらやっていることに意味を与えられるのは、未来の自分だけだよ」

 

 

がっちがちに凝り固まっていた思考が、ふっとゆるんだ瞬間だった。

 

私には、"~しなければならない"という思考の癖がある。それを見事に打ち砕いた。

 

自分の中で、勝手に正解を決めつけていた。学校で料理を学んだなら、ずっと料理をすることが正解であると思い込んでいた。その正解は理想であり、正解ではないのに。そして理想を描くだけで、自分をそこに導く術なんて知らなかった。教科書がなくなると、途端に目指すところがわからなくなる。

 

料理を辞めたいま、ずっと不正解のみちをのろのろ歩いているような憂鬱な気持ちだった。この道をどこまでいっても正解にはたどり着けないのに。

 

でも、何やってもいいんだって。正解は、未来の私が作るんだって。

 

続けることが美徳であるこの国で、なかなかこんなアドバイスはもらえない。この人自身、いろいろなことを経験して、苦労もたくさんあったからこそ言えることだと思う。

 

言ってしまえばたかだか数時間、客の相手をしてくれているただの美容師さんである。それでも、その言葉は誰のどんな言葉よりも、私の中で反響して止まない。

 

 

 

「よし、なんでもやってみます。まずはワインを1年。飽きたら次は…その時考えます」

 

「そうだね。何がやりたくなるかわからないから、いつもその手を大切にね」

 

さっきのように、関節を鳴らすことはしない。代わりに両手でぎゅっと拳を握った。

 

そしてまた、下らない話に戻っていく。

 

 

 

この日、私はますますこの美容室が好きになった。

 

美容師さんがハサミを置くその日まで、私はここに通い続けると決めている。これからあとどれだけ、勇気をもらうことができるだろうか。いまからわくわくしている。

 

美容師さんからもらえる言葉、それが私がここに通う理由である。

 

 

 

 

ちなみに余談だが、美容師さんは食べることにあまり興味がない。

 

そして私は美容というものにあまり興味がない。

 

そんな二人が互いに自分の仕事を少し誇らしげに話す。なんとも不毛で、少し笑える。

 

 

 

この美容室の料金は9,260円。

 

カットとカラーと、たまに人生相談まで含まれている。

 

それでいてこの価格、なんて良心的な価格なんだろう。